2012年07月11日

御言葉が降った

「アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」。
(ルカ3:2)

神の言葉が降った。
どこに?
大祭司のところ?
違う。
荒れ野にいたヨハネの所に、でした。

どうしてヨハネの所に、だったのでしょうか。
大祭司の方が、立場的にも、
御言葉を伝える効果的にも有利だと思うけど...

ヨハネは、預言者として生まれ、
預言者としての生活をしていたのでしょう。
荒れ野で、自分を厳しく律しながら、
ひたすらに御言葉を求める生活を送っていた。

神さまが全てを成して下さる。
それは事実だけど、
愛の関係を求めている神さまの前に、
神さまを信じる者としての行動、
信仰の行動が求められている。

神の子として、
神の恵みを求めること。
神の導きに従うこと。
御言葉の成就を求めて祈ること。

神の子として
神さまに喜ばれるような、
神の子に相応しい生活を送ること。

その時、
人生を導き、満たし、励ます
そんな御言葉に満たされるでしょう。

posted by Satochan at 06:24| Comment(0) | デボーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

枠を壊して

「神にできないことは何一つない」。
(ルカ1:27)

自分にできないことは、何一つない、と宣言できるってすごいよね!!

でも、神さまゆえに、その宣言には真実味もあり、力強さもあるね。

その神さまに祈って、
自分の望みをかなえてもらおう、
とするわけだけど、その時、意外と自分の中で、
「何もできないことはない神さまだけど、
これは無理だよね」と思っている
自分がいたりもします。

自分の心の枠が、
神さまの素晴らしさを
狭めてしまいます。

まず、自分の枠を取り除いて下さい、
と祈り求めましょう。
自分の価値観、偏見、
これを取り除いて下さい、と。

そして、神さまの御心で満たして
頂けるように求めましょう。
神さまの偉大さに触れることができれば、
それだけで喜びがわいてきます。

posted by Satochan at 09:16| Comment(0) | デボーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月28日

所有者は誰?

「次に、あなたは聖別の油を取って、
幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、
幕屋とそのすべての祭具を聖別する。
それは聖なるものとなる」。
(出エジプト記40:9)

電力会社の意識と
一般庶民の意識と
かなり差があって
一致が難しいようですね。

お互いに
「自分にとって良いように...」
という思いがありますから、
当然と言えば当然かな。

「自分のものだから」
「自分がコントロールする」
「自分に利益があるように」

「自分」が先に立つと、
手放すことが難しくなる。

主は、油を注いで「聖別せよ」と
言われます。

「聖別」とは、神さまのものとする、
ということです。

所有者が神さまです。

自分のものではなく、
神さまのものとする。

そうすると、
自分のものではなく、主のもの。
自分ではなく、主がコントロールする。
自分にではなく、主の栄光が表される。
全ての人にとって
最善の結果が生じるようになります。

今日、自分が握りしめて、
所有権を主張していたものを
「これは、主のものだ!!」
と宣言してみましょう。

解放されて、自由になりましょう。
posted by Satochan at 09:01| Comment(0) | デボーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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